建物探訪

宮崎県庁舎

観光立県・宮崎の顔として

2010. 01. 19

1932(昭和7)年、世界大恐慌の影響を受け、日本中が不景気に苦しんでいるさなか、宮崎県民の熱い想いに応えて完成した県庁舎。現在では、観光立県・宮崎の顔として再び脚光を浴びている。

南国・宮崎を代表する歴史的建築物

宮崎県庁舎は、宮崎市内の中心部、緑が鮮やかな楠の並木道のなかほどに、ゴシック様式の威風堂々たる姿で建っている。前庭には県木のフェニックスやサボテンなどの亜熱帯植物が配され、南国・宮崎を象徴する建物として、来庁者を優しく迎える。

壁には明るい茶色のスクラッチタイルが施され、外壁を補強するための柱が建物の前面に張り出す。頂部が突き出たデザインの柱が垂直方向を強調し、建物全体に伸びやかな印象を与えている。

築後80年近くになる庁舎は、県庁舎の本館としては九州で最も古く、全国でも大阪府庁舎神奈川県庁舎、愛媛県庁舎に次いで4番目に古い歴史を有する。

幾多の困難を乗り越えて誕生

新庁舎の建設計画がスタートしたのは1928(昭和3)年のこと。宮崎県が鹿児島県から分離再置県されて50周年を迎えるにあたり、その記念事業として進められた。

しかし、時勢の折は悪く、まだ日本中が関東大震災の影響による不景気に苦しんでいた。また、翌年に起こった世界大恐慌も、暗い世相に追い打ちをかけた。

厳しい予算運営のなか、県議会では計画の中止、見直しという議論も起こったが、新庁舎に期待する県民の熱意は強く、1931(昭和6)年に大林組の手によって着工となった。設計は、茨城県庁などネオ・ゴシック様式を取り入れた公共建築物を数多く手がけていた置塩章氏が担当した。

幾多の障害を乗り越えてようやく工事はスタートしたものの、建設地がもともと沼地であったことから、基礎工事は困難を極めた。しかし、当時の記録によると、「6月の地鎮祭より、大林組が夜を日に次いでの突貫作業で建設を進め、延べ7万2,500人もの現場職工を投入して建設を進めた」とあるように、大林組の懸命の施工によって、着工から1年4ヵ月後には、威容を誇る新庁舎が姿を現した。

県の新たな観光名所へ

2007(平成19)年1月、東国原知事が就任したことで、県庁舎は大きな転機を迎える。新知事をひと目見ようと、観光客がバスで次々に訪れ始めたのだ。この建物は連日大勢の人々で賑わう一大観光スポットへと変貌した。

多くの来庁者の目に触れることで、この建物の価値が改めて評価され、昭和初期の雰囲気を色濃く残す庁舎の内外は、絶好の記念撮影の場となっている。夜間にはライトアップされるなど、貴重な観光資源として見直された宮崎県庁舎。県の新しい「観光名所」として、大きな期待が寄せられている。

取材協力・資料提供/宮崎県総務部総務課、宮崎県文書センター

  • 竣工:1932(昭和7)年
  • 住所:宮崎県橘通東2-10-1

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