季刊大林No.38
「出島」
長崎の港は近世までは半農半漁ののどかな村に過ぎなかった。しかし1571年、ポルトガル人がこの地で貿易を始めると、各地から商人が集まり、急速に都市化し、交易都市・長崎の名は全国に知られるようになった。
「出島」は1636年、キリスト教の蔓延防止のため、ポルトガル人を隔離居住させる目的で築造された。ここで着目したいのは、出島が日本初の人工島であり、しかも長崎の有力町人25名の共同出資によるもの、つまり日本初の民活事業だということだ。出島は、1639年鎖国が本格化し、初代商館長が着任した1641年からから1859年の開港にいたる218年間、貿易の場、外国との唯一の窓口としての役割を担ったのである。
(1994年発行)
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出島とオランダ人の生活
森岡美子
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OBAYASHI IDEA
長崎「出島」の復元と考察
大林組プロジェクトチーム
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出島の世界史
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年表「出島をめぐる外交史」
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出島における日蘭の出会い(1641年-1853年)
商館長イサーク・ティツィングの役割フランク・レクイン(ティツィング記念日欧文化交流研究所長)
監訳:金井圓(東京大学名誉教授・日蘭学会常任理事) -
江戸に見るオランダ風俗
田中優子
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異国叢書を読む
加藤秀俊
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オランダ商館の人々
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グラビア:蛮館図
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「出島」の文献45