森林の魔法
C.W.ニコル
エチオピアに国立公園をつくる
1967年、わたしはエチオピアの最後の皇帝、ハイレ・セラシエI世から、エチオピア北部にあるシミエン山地を国立公園として整備して欲しいと依頼され、招かれました。2年ほどの間この山で暮らしながら働いた結果、1969年に正式にシミエン国立公園として制定されました。さらに1978年には、ユネスコが最初に指定した世界自然遺産のひとつとして登録されました。
ところが、このようなすばらしい山地であったにもかかわらず、シミエン国立公園は、1996年に危機遺産に登録されてしまったのです。それは、強盗団や密猟者による「森林破壊」が行われたためです。彼らの行為は「違法伐採」ではなく「森林破壊」でした。金銭を得る目的で木を伐って売るのではなく、木を切り倒して燃やした土地を耕す「焼畑」によって食糧を生産するためでした。シミエン山地は、表土がやせていて岩が多く、さらに急峻な斜面がほとんどを占めている地域であったため、木が無くなることで、土壌は侵食されて干上がり、結局、野生の動植物が生息する場所も失われてしまいました。
2014年にシミエンを再訪したときには、森や動植物の自然生息地と水資源は絶望的な状態になっていました。この体験は私にとって厳しいものでしたが、その後の人生を大きく変える森づくりの基となりました。
黒姫に移住、アファンの森をつくる
山についてもっと深く知りたいと思い、1980年に私は長野県の北部エリア、信州・黒姫に移住してきました。そして山の奥深くに入り研究するための備えとして日本で猟銃の免許を取りました(この国では、銃の免許はそう簡単には取れないのです!)。そして地元の猟友会のメンバーに加わることを許されました。その後ほぼ7年間、この地域を仲間と一緒に歩き回りました。その体験はまたすばらしいものであったものの、何度も歩くうち、大昔からそこにある森がどんどん失われていく様子を目にするのは辛く、胸を痛めていました。おそらく、本当に古い森(原生林と呼ばれ、生物の遺伝子の銀行)は、長野に広がる森林のなかでもわずか3%に満たないほどしか残されていないでしょう。巨樹や、クマをはじめとする豊かな野生の動植物が生息する貴重な森は、政府の林業政策の方針に基づき、破壊されてきたのです。
黒姫に住んで、自然保護、執筆活動、レクチャーや、時には政府と闘う運動にも身を投じた末、ついにわたしは日本に永住することを決めました。これからは外野から文句を言うのではなく、これまでに旅したどの国よりも愛している日本のための挑戦をする時が来た、と思ったからです。
猟友会で知り合った友人にじっくり相談しながら、放置されて荒れ放題になっていた里山を1万坪ほど購入。さらに、松木信義さんという森についてあらゆることを知っている人物に出会って、すべての木と植物のことを教わりました。彼の助けを得ながら、小さくても生命にあふれたサステナブルな森をつくるという夢に向かって歩み始めることができました。
C.W.ニコル(作家)
1940年英国南ウェールズ生まれ。カナダ水産調査局北極生物研究所の技官、同環境局の環境問題緊急対策官、エチオピア シミエン山岳国立公園の公園長など世界各地で環境保護活動に従事。1980年長野県黒姫に移住。1984年から荒れ果てた里山を購入し森の再生活動を始め、2002年にアファンの森財団を設立。2005年、その活動が認められ英国エリザベス女王から名誉大英勲章を授与。著書に『マザーツリー 母なる樹の物語』『勇魚』『裸のダルシン』など。
No.58「森林」
現在では、わが国伝統の材料である木材を、高度な集成木材(エンジニアリングウッド)のみならず、鋼鉄より軽くて強い植物繊維由来の素材であるセルロースナノファイバーなど、最先端材料に変貌させることができるようになってきました。国土の約7割が森林に覆われ、木材という豊富な資源を持つ日本で、私たちは森林とどのように向き合っていけばよいのでしょうか。
本号では「森林」の現状を解明するとともに、この豊かな資源の活用をあらためて考察しました。
(2017年発行)